影響力の扱い方を間違えると陰謀史観になる

何気ないTwitter での一言が、いきなり1000人にブックマークされたとしたら、ブックマークされた人間は必ず影響を受けるだろう・・・。本当か?それを他人は知ることができない。そもそも、ブックマークされたという事実を知らなければ、影響力なんてものは行使されないのだ。
Twitter を使っているような人間であれば、ソーシャルブックマークからリンクされていることに気付く可能性は高いだろう。しかし、日本サッカー協会会長・犬飼基昭氏はソーシャルブックマークというサービスの存在すら知らないかもしれない。そういう意味で、ソーシャルブックマークでの意見が犬飼基昭氏に届く可能性は低い(=あまり影響力を期待するのはどうかな)ということになるだろう。
ソーシャルブックマークで「Jリーグの秋春制移行反対」が声高に叫ばれた結果、犬飼基昭氏が秋春制移行を撤回したとしても、ソーシャルブックマークの影響力があったことの証明にはならない。(逆に、影響力がなかったことも証明できない)犬飼基昭氏が秋春制移行を撤回した理由は、マスコミの論調が否定的だったからかもしれないし、もしかすると“信頼する占い師”が反対だったからかもしれないからだ。
ここで気をつけなくてはならないのは、「逆に、影響力がなかったことも証明できない」という点だ。“信頼する占い師”という存在は、いま私が勝手に作り出した単語だが、それが一度存在感を得てしまうと、それを否定することは非常に困難、というよりも不可能になってしまうのだ。
例え、犬飼基昭氏が「ソーシャルブックマークやマスコミの論調をきっかけに秋春制移行を撤回した」と発言したとしても、“信頼する占い師”の存在だけがクローズアップされてしまう可能性は回避できない。「逆に、影響力がなかったことも証明できない」ことを利用すれば、誰でも陰謀史観が作れてしまうのだ。
影響力の扱い方は難しい。そもそも、自分が何に影響されているのかを気付くことさえ困難なのだ。他人が何に影響されたかなんて、軽々しく口にできることではないといえる。