東日本大震災における被災地取材で分かったこと

4月11日から13日にかけて、気仙沼陸前高田、仙台、相馬などの被災地へと取材に行ってきました。そこで分かったことは「場所によって全く事情が異なる」ということでした。


◆目まぐるしく変化する被災地の現状


例えばこういうことです。12日は仙台市内「牛たん炭焼 利久」での夕食となりました。一部のメニューは品切れだったのですが、何の不自由もなく、お腹いっぱい牛タンを食すことができました。しかし仙台には潤沢な物資があるのかといえば、決してそうではありません。


コンビニエンスストアではジュースや酒類などの飲料は売り切れているところが多かったですし、売切の目立つ自動販売機も数多く目にしました。ただし、すべてのコンビニエンスストア自動販売機がそういう状況だったわけではありません。コンビニではコーラが販売されていないものの、すぐそばの自動販売機ではコーラが販売されていることもありましたし、その逆の場合もありました。


以上の仙台に関する状況は、あくまでも12日夜に私が見た範囲に限った話です。一週間前までは電気やガスといったインフラもじゅうぶんに整備されていなかったと聞きますし、いまでは物流状況もさらに良くなっている可能性が高いでしょう。


一区画進んだだけで全く異なる風景が見えたり、刻一刻と状況が変わっているのは、他の被災地でも同じです。インターネットを利用しながら自動車で被災地を移動していたのですが、ほんの一区画進んだだけで通信状況が快適にもなれば切断されるといったことがしばしば起きました。また、前日に「○○の避難所には△△が不足している」という情報を聞き、翌日に○○避難所へ△△を持って行っても、すでにじゅうぶんな物資が届いているといったことがありました。


私たちはついつい「宮城県では」とか「気仙沼では」など、被災地をひとくくりにしてしまいがちですが、そんな簡単な問題ではないということが現地に行って分かりました。気仙沼でも少し移動しただけで被害状況や不足している物資も異なりますし、状況は刻一刻と変化していくのです。


現地に行った人間が「○○ではこうだった」という話をしていることがありますが、それはあくまでもその時その場所に限った事実であり、現状を正しく表しているわけではないのです。また、被災地に住んでいる人であっても、その周辺の状況をすべて把握できているわけではないということも覚えておく必要があります。


一方で、震災直後から状況に変化が見られないと感じたのが陸前高田でした。自動車で市役所までたどり着き、市内を巡回できたのですから、復旧作業が進んでいることは確実です。しかし市内は瓦礫の山で、人が住める状態でないことは明らかでした。瓦礫が崩れてきたり、落とし穴にはまったりと、運が悪ければ死ぬ場所だと直感的に思いました。確かに被災地の状況は刻一刻と変化しているのですが、数カ月で復興できる状況ではないのは確かなようです。


◆ボランティアに求められること


陸前高田のような場所では、私のような素人は無力な存在です。こうした場所では自衛隊のようなプロフェッショナルが必要なのですが、その一方で、私たちにもできることはあります。それがボランティアです。


私たちがボランティアセンターで聞いた話では、荷物の運搬ができる人(=自動車を運転できて、カーナビに頼らなくても目的に辿り着ける土地勘のある人。運搬に使える自動車を所有していればなおよし)が必要とのことでした。ただ、こうした人が市外にたくさんいるわけはないので、市内にいる荷物の運搬ができる人を活用するため、荷物の運搬ができる人が現在行っている作業を代わりにしてくれる人が必要ということになります。


荷物の運搬ができる人が行っている他の作業は千差万別です。また、荷物の運搬ができる人が必要という話も私たちが話を聞いた場所・時点での話であり、現在では違う人材が必要となっているかもしれません。ただ、陸前高田の状況を見た限り、ほんの数カ月であらゆる人手が必要なくなるということはないはずです。つまり、こちらがやりたいことをするのではなく、被災地で必要とされる作業をする人材が求められているようでした。


◆ひとくくりにできない被災者


そして、被災者の方々も決してひとくくりにしてはいけないと感じました。同じ場所で同じ時間に同じ体験をしたとしても、全く異なる感想を持つのが人間です。それは大震災・大津波でも変わりありません。「何もやる気が起きない」という方もいれば「何かやっていたい」という方もいるし、「どうしたらいいのか分からない」という方もいます。また、1カ月が経過して震災関連の報道が減ることを懸念している方もいれば、もう震災関連の報道は観たくないという方もいます。被災者に支援が必要なのは確かなのですが、好意だからとって支援を押しつけることは、かえってプライドを傷つけてしまう可能性すらあります。


結局のところ、被災地・被災者と一口に言っても、場所やタイミング、人によって必要な支援は異なるということです。もちろん、エネルギー政策や復興プランなどの大きな青写真は必要ですが、支援を必要とする人に可能な限りの選択肢を与えることが重要だと、今回の取材を通して感じました。


最後に、私に今回の取材同行を持ちかけてくださった津田大介氏、元自衛官という立場でさまざまなアドバイスをしていただいたこーじ氏、さまざまな面で援助をしてくださった戸田誠司氏、さまざまな作業のサポートをしてくださった小嶋裕一氏に感謝の意を表します。